- #122
- 2025.4.16
「祥子、還暦。」
早いものでわたくしついに本年、還暦を迎えることとなりました。ミュージシャンとしてこの年(歳)をむかえることが出来て大変幸せです。本当に、本当にありがとうございます。
"自分の生きる場所って、自分で居られる場所って、
いったい何処にあるんだろう??"——
とシツコ~ク問い続けて、ハッ!と気づいたら60になっていた。。。というのが偽らざる実感なのです。が。。。
ある時から "物事の理解" をすべて「"自分" のフィルターを通して」では無く「神の視点を通じて」するようになった。これは人生の本当に大きな変化でした。
シンガー&ソングライターは "Self" について書き/歌うものであり、私も疑いなくそうして来たわけですが、実は"Self"への偶像崇拝に限りなく近づいていたのでは?——
クリスチャン歴5年を過ぎた頃から、そんな疑問が拭えなくなってきました。
世の中ではセルフ・ラブとかセルフ・ヒーリングとかセルフ・エンパワーメントとか。。。何か "意識高いスピリチュアル系" のように言われて風景化している "Self" という言葉。
所謂 "自撮り" のことをSelfie、なんて言ったりもしますよネ。
その "わかりやすさ" こそが罠だったんではなかろうか。これって信仰上の大問題じゃ無いのか??と、今まで以上に音楽のこと、これからのことを考えるようになりました。
——クリスチャンがやってはダメなことベスト3の筆頭、とも言えるのが "偶像崇拝" です。
ご存じのようにアイドル、という言葉も "偶像" の意で、英語圏では "Idolatry" なんて言われていますネ。
私の最大の問題点はまず「音楽」を偶像崇拝していたこと、
そして "Self" =自我への偶像崇拝(Self-worship)が始まっていたことでした。
音楽に人生を救われたと、ある時期まで本当にそう思っていたのです。 "信じて疑わなかった" と言ったほうが近いかも知れない、それはもう、ひとつの信仰=Faithのように。
一見純粋?で結構なことみたいですが、違うのです。
私の考え、私の生活、私の生き方、私の理想、私の音楽。
それを貫くことこそが「私の」幸せであって他に幸せは無い。
これはもう完全なるIdolatry、Self-worshipです。
そりゃァそうなるでしょう、だってFaith=信仰ですから。
またそんな「自分」をどこかで誇るような、思い上がった高慢さをもつようにもなる。
信仰し崇拝するべきはただ神、であって "音楽" や "人間"、ましてや "Self" なんかでは無い。
偶像崇拝は神のデザインに反したことですから当然の帰結、末路でしょう。これは現代の "フェミニズム" といわれている教義?の悪影響/弊害でもあると思います。
女も "自分" を持って個性を発揮して、経済的に自立して男に頼らず生きてゆこう!お一人様上等(自分で書いてて古いよナ?。。。と思っちゃう)。——私も一時期おおいに傾倒したところの、お馴染みのアレですネ。
"FEMINISM IS DEMONIC"
米国の若きクリスチャン論客、Angelamarieさんが自身のYoutubeチャンネルで↑「フェミニズムは悪魔的」だと看破しています。女性の人生を "良くする、自由にする、解放する" 。。。という名目で実は "詰ませる" ものだからです。32:30あたりからは音楽ビジネスの世界についても語られていて興味深いですネ。
ハハァ?、道理でフェミニズムの権威・U野C子先生が祈ることは無力である、無力な者の最後の抵抗である、なんてお書きになるわけですよネ。何というAnti-Christなお方でしょう。。。セックス・ピストルズも負けそう(笑)。ナーンテ笑ってる場合じゃないのです。聖書の教えや祈りのパワーへの、神へのハッキリした悪意ある攻撃です。)
でも、言っていいですか?←経験者は語る。
——Me,Me,Meしか無い世界には愛、はありません。
何か漠然とした虚しい夢、みたいなものを追いかけているだけです。
それこそがこの世にばら撒かれた "Self" という幻想、なんじゃ無いか。
これは大変に恐いことだと、クリスチャンとして初めて気づいたのですから呑気なものです。自分の中にその芽があるとしたら、早速摘み取って打ち砕き炉に投げ入れないといけない。その作業に結構。。。というかものすごく、時間がかかったのです。今だって完了しているとは言い難いくらいに。
Biblicalな言いかたをすれば "Self" =自我において一度死んで、 "Life" =命において復活する——クリスチャンはイエス様の生き方をなぞってゆくものだから——くらいの転換をしなければ自分は救われないし、音楽をやってゆくことはできない。心の底からそう思いました。
いつも話し出すと長くてスミマセン!! 。。。16の時に音楽をやろうと決めて、60になる前に気づいてよかった。主が、大事な人が気づかせてくれました。
だからと言って今までの人生も、書いてきた曲も、私は否定しません。
永遠に継くもの、変わらないものをずっと探し需めてきた、その旅の途中で生まれたものだから。未熟なところも、迷っているところも、悩んでいるところも愛おしくて大好きです。
イエス様が私たちを愛してくれるように、私も自分を赦し、愛せるようになったから。
—旧約聖書に登場するヒーロー・ダビデは竪琴の名手だったそうです。「詩篇」(Psalm)には若きダビデが戦いに明け暮れる日々の中、救いをもとめて主に捧げ詠った詩が、歌がたくさん残されています。
"——いかに幸いなことでしょう
背きを赦され、罪を覆っていただいた者は。"
(「詩篇」第33章1節 )
"——琴を奏でて主に感謝をささげ
十弦の琴を奏でてほめ歌をうたえ。
新しい歌を主に向かってうたい
美しい調べとともに喜びの叫びをあげよ。"
(「詩篇」第33章2~3節 )
私も主に救いを求めて新しい歌をうたおう、と思います。
それがあなた様の心に少しでも届くことを信じて!。。。
2025年4月12日
鈴木祥子。