季節のスケッチ

#118
2024.07.22

自分にとって歌とは、なんてあまり考えないですが、 このあいだヴォーカル・ダビングをしている時ふと、 自分、結構永くこれ(歌)をやっているよなァ。。。と冷静に思ったのです。

歌の技術、って歌唱そのものの技術ってよりも、曲に相応しい音色を作る技術、 なんじゃないか?と思うんです。その曲を最大限に生かすことのできる声ってどれなのか、 探すのが大事なんじゃ無いかと思う。所謂精神論じゃないですネ、 全然。私にとっては。。。

でも不思議なんですけど、声を使うとやっぱり元気になるんですネ。
精神が。生き生きとして来るんです。精神論じゃないと言いつつ、 やっぱり精神、凄く関係あるんだナーと思うのです。

それってきっと、哲学者のドゥールーズ言うところの "力能" を使うから、 じゃ無いのかな。頭のなかにアイデアがひらめくことと、 身体や感覚を使うことが同時に起こるから、全てを効率よく使っている、 動かしているという感じになるんです。

これって歌に限らず、人を非常に幸せにする感覚なんじゃないか、と思うんですネ。
Contentedな感覚っていうのか、きっとただ歌っていてもそういう 感覚にはならない、そこで歌われたものを記録して、録音してくれる中山さんが居て、 聴いてくださる方がいて、はじめて充実感っていうものが出てくる。

独りでは完結し得ないものなんですネ。そこが素敵なんだと思う、こう、 人間的って言うのでしょうか( "今はインターネットも発達してるし 独りでも楽しく生きていける" なんて。。。嘘だァ、と私は思っちゃう)。

若い頃はそんなこと全然わかりませんでした。何が自分を満足させることなのか、 充実するってどういうことなのか、与えられた課題をこなすので精一杯、 ひとたび課題が与えられなくなったらもう、何をしていいかわからない。

よく音楽家は音楽が良ければ人間性はどうでも良い、
歌手は歌さえ良ければ私生活が不幸でもかまわない、
と言ったりするけど、私はそうは思わないのです。だって、
しょうもない精神だったら絶対それが声に出るし主に怒られちゃう。
いくらお祈りしても相手にされなくなる、クリスチャンにとって、 そんなに恐ろしいことってほかにありません。

"歌" の精神論じゃなくて、非常にキホン的な人間としての。。。
心の在り方っていうのでしょうか。いくら技術が優っていても自我、 "自分" が強すぎると聴くひとがどこからも入ってゆけない、ドアも窓も無い、 その人だけが満足してる歌、になっちゃったりもする。

うーん、いくつになっても本当にムズカシイですネ。
ブレてないけどとらわれない、まっすぐだけど柔軟でもあるような、 そんな状態で居たいナ~と最近すごく感じるのです。

だって歌なんて誰でも歌える、そのなかでどう "在りたい" のか、を いつも考えていたいし探していたい。

それがひとつの生き方になって、道が出来て行ったら。。。
それは誰にも、何にも左右されることのない道だと思うのです。
まだまだ自分は道の途中。本当に亀の歩み(笑&泣。)ですが、 だからこそ継けられる、ってこともあるのかもしれない。。。

ナ~ンだ、やっぱり精神論じゃないか、と言われちゃいそうですネ(笑)!
アルバム頑張って作っていますので、どうかどうか楽しみにしていてくださいませネ!!

鈴木祥子。

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